横浜DeNAベイスターズのドラフト1位の度会隆輝選手の活躍がすごいですよね。
開幕戦から2試合連続のホームランを打ち、すでにヒーローインタビューにも登場するなど今一番熱い選手に間違いないですよね。
度会隆輝選手は横浜高校時代に高校1年生から甲子園に代打の切り札としてベンチ入りするなど、目覚ましい活躍をしてきているんですよね。
度会隆輝選手の家庭は父の博文さんは元ヤクルトに所属していた選手で、度会隆輝選手はプロ野球選手である父博文さんを見て育ってきましたので野球選手になるのは必然的だったのでしょうね。
度会隆輝選手にはお兄さんもおられますが、お兄さんの基輝さんもリトルリーグから野球をしていて、現在は社会人野球をやっているまさに野球一家に生まれているんですね。
度会隆輝選手の父博文さんについてプロ野球時代の成績や年俸はどうだったのか、また現在は何をされているのか調べてみたいと思います。
度会隆輝の父博文はヤクルトの選手だった?
そうです!
— @寿司(辺境の工場経理) (@DokuzetsuMegane) March 25, 2024
ペタジーニの守備固めとかでもよく出てきてた度会博文さんの御子息ですね。 pic.twitter.com/OpR6vgPM4L
度会隆輝選手の父は元ヤクルトに所属していた度会博文さんです。
度会博文さんはヤクルト時代、ピッチャーとキャッチャー以外は守れるユーティリティープレイヤーとして活躍をしていた選手なんですよ。
度会博文選手は高校野球では甲子園の夢は果たせませんでしたが、高校を卒業してからは中央学院大学に進学して野球を続けていました。
大学時代には首位打者3回、大学通算で打率4割7分5厘、9本塁打、4年生の秋にはMVPに選出されるなど、活躍をしていたことで、ドラフトでは3位でヤクルトに入団したんですよね。
度会隆輝選手も小さい頃に父の博文さんのプレーが記憶になるか分かりませんが、ドラフトで横浜DeNAベイスターズに入団が決まった時には、お父さんが目標と答えるくらいあこがれの選手だったんですね。
父の博文さんは自分があこがれの目標の選手という度会隆輝選手に、もっとスーパースターになれと言ってるみたいですね。
最近では目標4割で、イチローさんみたいに歴史に名前を残せる選手になりたいと言っているようですけど、開幕直後の活躍ではそれも現実になるかもしれないですね。
ドラフト直後
— ロペンクス (@ropenks) January 8, 2024
度会隆輝「お父さんが目標なので」
度会博文「ありがたいが志が低い。スーパースターになれ」
最近
度会隆輝「目標は4割。イチローさんのように歴史に名を刻みたい」
マスコミ「目標はイチロー超え!」
博文「…(やり過ぎ)」
素直だ
度会隆輝の兄基輝からも応援のメッセージ
GOODすぎる👍
— 度会 基輝 (@wataraimotoki) February 23, 2024
頑張れー! https://t.co/7kku2ELybo
度会隆輝選手の活躍を兄の基輝さんもGOODすぎると応援をしてくれていますね。
本当に離れていても野球で繋がっているいい家族を築いておられますね。
度会ファミリー👨👩👦👦#良いことありますように#ドラフト2023 pic.twitter.com/KzOvGVgtNw
— 度会 基輝 (@wataraimotoki) October 26, 2023
度会隆輝選手の一家が仲の良さが伝わってくる写真ですね。
一番左端が兄の基輝さんは母親似で、度会隆輝選手は完全に父親似ですね。
帽子はなぜかお揃いでニューヨーク・ヤンキースなんですね。
度会隆輝はの父博文の現役時代の成績や年俸は?
ベイスターズの度会の活躍は嬉しい。リアルタイムで度会博文を見てたからね こんなに小さかったのに pic.twitter.com/FrTwUh8TGa
— Naoya Hiruma (@Hirumawooten1) March 31, 2024
度会隆輝選手の父博文さんのヤクルト時代の成績はどうだったのでしょう。
父博文のヤクルト時代の成績は常にレギュラーというわけではなかったので、順風満帆なプロ野球生活ではなかったですが、ここぞという時の代打の切り札として活躍をしていました。
1994年ヤクルト入団~2008年引退 在籍期間15年間 在籍期間の一軍での通算成績 173安打 34二塁打 9本塁打 61打点 2盗塁 二軍では3割以上打率を残すも内野陣が鉄壁だったため4年間一軍での出場経験なし 1998年一軍で開幕スタメンとして起用されるが守備位置は定着せず 1999年は打撃不振で二軍中心となるが、二軍での首位打者を獲得 2006年には高い打率を残し、代打の切り札として左投手に対応
度会隆輝選手の父博文さんの選手としての成績は、表舞台で活躍するスター選手というよりは、裏方に徹してここぞのところでチームのために働く職人といった感じでしょうか。
父博文のヤクルト時代の年俸推移
年俸の推移についてはこちらです。
1994年 | 600万円 |
---|---|
1995年 | 600万円 |
1996年 | 540万円 |
1997年 | 570万円 |
1998年 | 600万円 |
1999年 | 1600万円 |
2000年 | 1400万円 |
2001年 | 1700万円 |
2002年 | 2300万円 |
2003年 | 2300万円 |
2004年 | 2500万円 |
2005年 | 3000万円 |
2006年 | 2250万円 |
2007年 | 2000万円 |
2008年 | 2500万円 |
度会隆輝選手の父博文さんは一軍への定着があまりできず出場機会も少なかったこともあり、最高年俸が3000万円になりますね。
年俸3000万といっても普通のサラリーマンであればありえない金額だと思いますので、メジャーリーグに移籍している大物選手の年俸金額はえげつない金額ということが分かりますね。
度会隆輝選手の今年の年俸は1600万円になりますから、時代の違いはありますが今年の活躍次第では父博文さんの年俸をいっきに抜いてしまう可能性もありますよね。
度会隆輝の父博文の現役引退後と現在の仕事は?
2010年の利府でのイースタンリーグ、楽天対ヤクルトの試合でのヤクルトの選手の出待ちの思い出⚾ヤクルト一筋でプレーし、2001年の優勝、日本一に貢献し、引退後は2軍のコーチを務めた度会博文さん(現在、ヤクルト広報)⚾ pic.twitter.com/eFdHksVWDO
— 三部篤史 (@eZiNJmhcanzKFFz) September 8, 2017
5月の神宮でのヤクルト対阪神の試合での思い出⚾ヤクルト一筋でプレーし、2001年のヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献した度会博文さん(現在、ヤクルト1軍広報)に会って、写真を撮らせて貰いました⚾📷 pic.twitter.com/gplNC7gKc4
— 三部篤史 (@eZiNJmhcanzKFFz) September 26, 2017
度会隆輝選手の父博文さんは引退後、ヤクルトのコーチを務めた後、球団広報や、球団営業の仕事をされていました。
2020年には、広報とファームディレクター補佐を兼任。
2021年には、球団のスカウトやヤクルトジュニアチームの監督を務めていて、
2022年4月に開校を目指していたヤクルトアカデミーの設立準備室の責任者も務め、その後、ヤクルトアカデミーのヘッドコーチを務めているんですね。
度会隆輝選手の父博文さんは選手としては華々しいものではなかったですが、裏方の仕事やコーチや監督といったマネージメントの仕事が適任なのでしょうね。
度会隆輝選手の現在の活躍も父博文さんの指導などが根底にあるのかもしれないですね。
まとめ
こうやって並べると似てる#度会博文#度会隆輝 pic.twitter.com/QWX7gX4Aep
— きょん𓆪꙳⋆。:゚・𓏐 (@kyohn_727) March 30, 2024
度会隆輝選手の父博文さんについて調べてきました。
度会隆輝選手の父博文さんは元ヤクルトの選手としてユーティリティープレイヤーとしてなくてはならない存在として活躍をしてきました。
超一流のスター選手というわけではなくケガなどで穴が空いた時にはすかざずその穴を埋めれる存在として、個人の成績よりもチームの勝利のために働いてきた苦労人なんだと思います。
度会隆輝選手の活躍は父博文さんのマネージメント力によって基礎を積み上げてきたものが、ようやくプロになって花が開いたのかもしれません。
度会隆輝選手はスター選手になれる素質をもっていると思いますので、プロ野球の目玉になることは間違いないと思います。
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