度会隆輝の父博文はヤクルトの選手で成績や年俸は?現在の仕事は?

横浜DeNAベイスターズのドラフト1位の度会隆輝選手の活躍がすごいですよね。

開幕戦から2試合連続のホームランを打ち、すでにヒーローインタビューにも登場するなど今一番熱い選手に間違いないですよね。

度会隆輝選手は横浜高校時代に高校1年生から甲子園に代打の切り札としてベンチ入りするなど、目覚ましい活躍をしてきているんですよね。

度会隆輝選手の家庭は父の博文さんは元ヤクルトに所属していた選手で、度会隆輝選手はプロ野球選手である父博文さんを見て育ってきましたので野球選手になるのは必然的だったのでしょうね。

度会隆輝選手にはお兄さんもおられますが、お兄さんの基輝さんもリトルリーグから野球をしていて、現在は社会人野球をやっているまさに野球一家に生まれているんですね。

度会隆輝選手の父博文さんについてプロ野球時代の成績や年俸はどうだったのか、また現在は何をされているのか調べてみたいと思います。

目次

度会隆輝の父博文はヤクルトの選手だった?

度会隆輝選手の父は元ヤクルトに所属していた度会博文さんです。

度会博文さんはヤクルト時代、ピッチャーとキャッチャー以外は守れるユーティリティープレイヤーとして活躍をしていた選手なんですよ。

度会博文選手は高校野球では甲子園の夢は果たせませんでしたが、高校を卒業してからは中央学院大学に進学して野球を続けていました。

大学時代には首位打者3回、大学通算で打率4割7分5厘、9本塁打、4年生の秋にはMVPに選出されるなど、活躍をしていたことで、ドラフトでは3位でヤクルトに入団したんですよね。

度会隆輝選手も小さい頃に父の博文さんのプレーが記憶になるか分かりませんが、ドラフトで横浜DeNAベイスターズに入団が決まった時には、お父さんが目標と答えるくらいあこがれの選手だったんですね。

父の博文さんは自分があこがれの目標の選手という度会隆輝選手に、もっとスーパースターになれと言ってるみたいですね。

最近では目標4割で、イチローさんみたいに歴史に名前を残せる選手になりたいと言っているようですけど、開幕直後の活躍ではそれも現実になるかもしれないですね。

度会隆輝の兄基輝からも応援のメッセージ

度会隆輝選手の活躍を兄の基輝さんもGOODすぎると応援をしてくれていますね。

本当に離れていても野球で繋がっているいい家族を築いておられますね。

度会隆輝選手の一家が仲の良さが伝わってくる写真ですね。

一番左端が兄の基輝さんは母親似で、度会隆輝選手は完全に父親似ですね。

帽子はなぜかお揃いでニューヨーク・ヤンキースなんですね。

度会隆輝はの父博文の現役時代の成績や年俸は?

度会隆輝選手の父博文さんのヤクルト時代の成績はどうだったのでしょう。

父博文のヤクルト時代の成績は常にレギュラーというわけではなかったので、順風満帆なプロ野球生活ではなかったですが、ここぞという時の代打の切り札として活躍をしていました。

1994年ヤクルト入団~2008年引退 在籍期間15年間                                          在籍期間の一軍での通算成績 173安打 34二塁打 9本塁打 61打点 2盗塁                                      二軍では3割以上打率を残すも内野陣が鉄壁だったため4年間一軍での出場経験なし                            1998年一軍で開幕スタメンとして起用されるが守備位置は定着せず                                   1999年は打撃不振で二軍中心となるが、二軍での首位打者を獲得                                                                2006年には高い打率を残し、代打の切り札として左投手に対応                                                                                                           

度会隆輝選手の父博文さんの選手としての成績は、表舞台で活躍するスター選手というよりは、裏方に徹してここぞのところでチームのために働く職人といった感じでしょうか。

父博文のヤクルト時代の年俸推移

年俸の推移についてはこちらです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

1994年600万円
1995年600万円
1996年540万円
1997年570万円
1998年600万円
1999年1600万円
2000年1400万円
2001年1700万円
2002年2300万円
2003年2300万円
2004年2500万円
2005年3000万円
2006年2250万円
2007年2000万円
2008年2500万円
引用URL baseballinfo.net

度会隆輝選手の父博文さんは一軍への定着があまりできず出場機会も少なかったこともあり、最高年俸が3000万円になりますね。

年俸3000万といっても普通のサラリーマンであればありえない金額だと思いますので、メジャーリーグに移籍している大物選手の年俸金額はえげつない金額ということが分かりますね。

度会隆輝選手の今年の年俸は1600万円になりますから、時代の違いはありますが今年の活躍次第では父博文さんの年俸をいっきに抜いてしまう可能性もありますよね。

度会隆輝の父博文の現役引退後と現在の仕事は?

度会隆輝選手の父博文さんは引退後、ヤクルトのコーチを務めた後、球団広報や、球団営業の仕事をされていました。

2020年には、広報とファームディレクター補佐を兼任。

2021年には、球団のスカウトやヤクルトジュニアチームの監督を務めていて、

2022年4月に開校を目指していたヤクルトアカデミーの設立準備室の責任者も務め、その後、ヤクルトアカデミーのヘッドコーチを務めているんですね。

度会隆輝選手の父博文さんは選手としては華々しいものではなかったですが、裏方の仕事やコーチや監督といったマネージメントの仕事が適任なのでしょうね。

度会隆輝選手の現在の活躍も父博文さんの指導などが根底にあるのかもしれないですね。

まとめ

度会隆輝選手の父博文さんについて調べてきました。

度会隆輝選手の父博文さんは元ヤクルトの選手としてユーティリティープレイヤーとしてなくてはならない存在として活躍をしてきました。

超一流のスター選手というわけではなくケガなどで穴が空いた時にはすかざずその穴を埋めれる存在として、個人の成績よりもチームの勝利のために働いてきた苦労人なんだと思います。

度会隆輝選手の活躍は父博文さんのマネージメント力によって基礎を積み上げてきたものが、ようやくプロになって花が開いたのかもしれません。

度会隆輝選手はスター選手になれる素質をもっていると思いますので、プロ野球の目玉になることは間違いないと思います。

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